index/世界の空から 2006年12月

日本の国旗広島/広島県
世界の空から 2006.12.24 from 広島
3月の倉敷、7月の富山に続き、
破レ傘さんの献血旅行先は広島。
『旅と献血』
普通ならば結びつきようもない気がするのですが、
自身も楽しめて、なおかつ人の役にも立てる行い。
今回は少し余裕の日程だったようで、
平和記念資料館見学、温泉など楽しまれたとのこと。

広島中央郵便局 12月24日の消印→26日拝受

wikipedia:広島 広島市 広島県
広島市公式サイト

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 絵ハガキは世界遺産の原爆ドーム広島県産業奨励館)。
 表面には、ユネスコ憲章前文より「
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」の一文があります。
 まさしくその通りだとは思うものの、そう容易いことではない訳で…。

 自分が誰かに傷つけられた時の辛い思い。
 大切な人を傷つけられたり、命を奪われてしまったら?
 そんな思いは他の誰にもして欲しくないと考えられるのか、それとも自分だけ辛い思いをするのは悔しいと考えてしまうのか…なのでしょうか?
 憎しみの感情は大きさの違いはあったり、報復などの行動を起こすか否かの差異はあるとしても、誰しも持ち合わせているのだと思いますが、連鎖を断ち切る鍵は何なのでしょう。
 単にその感情の強さだけではないような気がします。


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 広島県産業奨励館は、チェコの建築家ヤン・レツル(Jan Letzel)氏による設計。彼は二十数棟の建築プロジェクトを日本で手がけたと記憶していますが、ここ以外の建造物はほぼ戦災で消失しており、現存していません。
 ヤン・レツル氏の生涯については、佐々木昭一郎氏によるTVドラマ『ヤン・レツル物語〜広島ドームを建てた男』に詳しいですが(←リンク先はいつまで有効?m(_ _)m)、ビデオやDVDは未発売です。日本では事務所を構えるなど恵まれた環境にあったように思われますが、その人生の幕引きは寂しすぎます。
 今、自身の手がけたドームが広島でこのような姿になっていること、そしてそれが平和への祈りの象徴となっていることを、彼はどう思うでしょうか。
ヤン・レツル・イヤー2000(英語 生誕120周年記念事業)
原爆ドームの建築家ヤン・レツルの生涯(日本人作成のページですが、英文。日本語も欲しい!^_^;)

 恥ずかしながら、広島県産業奨励館のドーム部分を『原爆ドーム』と呼んでいるのですよね?この絵ハガキにも、画像には「産業推奨館」、文面欄の下には「ユネスコ世界遺産・原爆ドーム」と書かれていて、何か別の建造物のような錯覚にしばしば襲われます。他にも物産陳列館と産業奨励館との関係も良く分からないし…勉強不足。
 広島も長崎も県内を立ち寄ったことはあるけれど、キチンと原爆に関する見聞を広めに訪れたことが未だありません。これはいかん!様々な媒体で見聞きするだけで涙がこぼれる私としては、かなりのショックを受けることが予想されるので、心積もりも必要なのでありますが…。

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